memento naka mori

閉塞感打開用雑記。

自分をへりくだる意味での発言が同じ立場の人間への問題発言と認識される展開

インタビュー記事や講演会などにおいて、有名人が誰か、もしくはどこかのクラスタに対しての差別的発言をしたということで問題になることがある。ネットで昔から有名なのは、「倖田來未の羊水腐る」発言など。

 

文脈からすると、自分の年齢から来ることによる謙譲表現、すなわち自分をへりくだらせる表現故の発言とも思えるが、ここで問題とされたのは、その発言がそれを含む同じ立場に所属する人間全員を含むことになってしまったことだろう。この場合は女性、年齢といった形。ここに気づいておらず、悪意がない謙譲表現だったのにそうなってしまったか、それとも気づいていて悪意があったのかは本人しかわかり得ない。が、ネットでは後者と受け止められることが多く、炎上案件となってしまった。

 

この「自分の謙譲表現として言ったつもりで、それに悪意がなかったとしても、結果としてそれを含む他者への非難中傷と認識されてしまう炎上する」というパターンは、ネットで何度も見ている気がする。主に有名人、とりわけ芸能人のメディアでの発言でそれが多いような気がする。

悪意、つまりここではそれに該当する他人を攻撃する意思があった場合はまあその非難通りとしても、そのようなことではなく、単に謙譲をするつもりでその巻き込み型になってしまった場合、本人の思惑とは違うところに言ってしまったわけで、かなり本人的に不条理を感じるかもしれないが、その発言はその同じ立場を攻撃することにもなっているわけで、こういうことでの炎上は、何か悲しいものがある。

 

ただ、別にネット炎上でも有名人にも限ったことではなく、個人の私生活においてもそういう展開がよくあるのではないかと思う。たとえば飲み屋の軽口で自分の身体的特徴や年齢、そして性別に言及し卑下的表現を使ったら、同じ立場の近くにいる人が不快に思った、など。趣味などのクラスタでもそういうことがあるだろう。

故に、たとえ己に対してのみの卑下で使う謙譲表現も、それに対しての範囲は自分以外にも含まれる可能性を考えて言わないと、余計な誤解を招くという可能性は誰にでもあるだろう。このことを念頭に入れておくだけでも、悲しいすれ違いで批判を浴びたり嫌われるようなことは減ると思うので。

 

※2015年8月24日に書いた別ブログの記事を一部修正